私と太陽の撤退戦記

1歳児との生活は刺激に満ち満ちている。
元気のかたまりというか、爆弾というか、とにかく元気な1歳児は私の娘だ。
寝起きはバッチリ。甘えかたはエネルギッシュで興奮のあまり頭突きをしてくる。的確にみぞおちや鼻面を狙う。遊ぶときは走る(はや歩き?)。追いかけると笑顔で逃げる。早い。親を呼ぶときは全力だ。マッマァーーーーーーーーーッッ!!!!!ボヘミアンラプソティか。


朝から晩までひとりで応対するととても疲れる。
それが一週間ともなるとまじ勘弁デンジャラスガールソーリーアイム貧弱人間って感じでぐったりする。
倒れ伏す母に娘は容赦ない。髪を引っ張り襟首を引っ張り可愛く笑って大声で叫ぶ。
「ネエ!!!!ネエ!!!!タッテッ!!!!タッテェッ!!!!」
鼓膜に1000のダメージ! 母の気が遠くなった!
私は小さな太陽に懇願する。人間一年生にもなるとなんとなくこちらの意図は通じるのだ。成長したなあ。
「お願い娘ちゃん……お母さんお腹いたいの……ちょっとやすませて……」
意図は通じた。娘は襟首を離し、顔をむすっとさせて(可愛い)とすん!と座った。テディベアみたいに。
「イヤアアアアアーーーー!!!!!!」
意図は通じたが納得はできなかったらしい。
結局オイオイと悲しげに泣き叫ぶ娘の手を取って公園に行った。夕飯は素うどんにした。

ところでうちの旦那は非常に子育てに積極的だ。とても助かっている。
そりゃあ私とは喧嘩もするが、こと子供関係において、世話を嫌がるとか遊ぶのを面倒くさがるとかいうことは一切無い。できた旦那である。
タイミングが合えば風呂も入れるし、ご飯も作る。昼間へろへろな私は旦那が早く帰ってきた日は大変助かっているのだ。玄関のドアが開く音に真っ先に飛んで行くのは娘だが、「お父さん帰ってきたよ!(歓喜)」と叫ぶのはわたしが先だ。娘より私のほうが旦那に帰ってきてほしいに決まっている。いや、まじで。
………ちょっとは譲っても良い。

そんな旦那が先日2週間ほど出張に行った。
4日くらいは良かった。まあなんとか、ぎりぎり、日常を保てた。
5日目、覚悟をしていた以上の戦場に私の頭がパーンてなった。語彙力は溶け、思考力はでろでろに形をなくし、死んだ目で弾道ミサイル(娘)の後を追った。ひいひい言いながら片付けて、3分後に積み木が全方位に散乱するのを見て白目を剥いた。追いかけてくる娘から掃除機を守りながらホコリを吸って、トイレの間はドアの向こうから糾弾された。洗濯物にお茶を丁寧に振りかけられたときは己のセキュリティ意識の甘さに膝を折り、炊いたばかりのご飯を間違って生ゴミと一緒に捨てて呆然とした。
まず朝が起きれなくなり、娘に叩き起こされてぐにゃぐにゃの卵焼きを作った日から何かが徐々に崩れた。
家事の手際が悪くなり、娘とでかける時間がズレた。お昼御飯に手間取って、昼寝の時間がランダムになり、夕方は娘の機嫌ガチャを引く。大抵星1。シンクに皿が溜まったまま風呂に入り、寝付けない娘の頭突きをくらいながらなんとか寝かしつけ、一緒に寝落ちた。
夜中に目が覚めて皿洗いをして、やっと布団に入ったと思ったら娘の寝惚けた頭突きで夜は途切れ途切れにしか寝れなくなった。

やばい。
メンタルがやべえと思った。何が悪いかはわからないが、とにかくこのままではヤバイと実感していた。

私は睡眠不足がイコール情緒不安定に直結する人間である。薄々感じていたが、娘を生んだ新生児期にそれが確かであることを既に経験していた。
だから、この状況は非常にまずいとわかっていた。
わかっていたが、解決策は何もなかった。
だって実家は飛行機の距離なのだ。頼れる身内はいないし、預ける場所もない。一時保育は「保育者が病や外出などの緊急のとき」と書かれていた。
病ではないし外出もせんのだ。預けられるはずもない。
旦那が帰ってくるまであと3日!信じたくなくてカレンダーの日数を三回数えた。
3日、私はこの元気の塊(可愛い)と24時間マンツーマン。

やばいと感じたのでとにかく外に出ることにした。と言っても寒くなってきた季節なので、児童センターくらいしか行くところがなかった。
そしてうちの娘は児童センターではわりと元気な子の部類だ。
常に動き回り、オモチャを出してぽい。他の子にぐいぐい近づいて、とくに年上の子の使っているオモチャをにこにこと奪いに行く。戦々恐々だよ。
私は娘について歩き、出されたオモチャを「片付けてよー」と言いながら仕舞い、ぐいぐい来られて泣きそうな他の子に謝って、「イヤ!あげない!」と怒ったり困った様子のおにいちゃんおねえちゃんに謝って、お母さんに謝って、まあ、とにかく半分くらいは謝って歩き回っている。
お母さん方は「大丈夫よ〜」と言ってくれるので、もしかしてこんなに謝る必要はないのかもと思いながら、でもやっぱり謝ってしまう。

娘は元気がよく、ぐいぐい行くが、こだわりが強い方ではないので、「イヤ」とか「順番」と言われたら、ふっと他の方へ向いてくれる。それが唯一の救いというか、ほっとするところだった。

それでも、センターは気を遣う。
公園は練り歩き、道路だの遊具だので緊張が続いた。
結局家でテレビをつけて、お母さんと一緒を見ながら踊りあかし、晩御飯の半分を「イヤ!ナイナイ!(食べない)」と拒否され、またお風呂で冷えながら遊び、お風呂でるの嫌!と泣かれながら着替えさせ、頭突きをくらいながら寝かしつけた。

何もかもが(やばい)(わからん)としか考えられず、友達に泣きの通知を入れた。

そうしてなんとか息を吹き返し、ぎりぎりのHPで最終日まで乗り切った。
旦那がかえってきた玄関の音に、喜ぶ娘の後ろで私は泣いた。お゛がえ゛り゛ぃ゛。にゃんちゅうみたいなきったねえ声が出た。


ひとりきりで娘を相手した2週間は戦場だった。それも勝てない戦場でどうやって死なずに帰るかを考える撤退戦だ。
最初、私は準備さえすればどうにか勝てると思っていた。だけど、睡眠不足による思考力の低下と、娘の∞耐久力を計算にいれてなかったことに、途中で気づいた。元気いっぱいガールは寝れば全快復する。一方、貧弱ババアは寝ても15/100くらいしか快復しない。はじめから私は娘に蹂躙される運命だったのだ。
こんなの、どう上手く乗り切るかしか、私に生きる道はない。友達に愚痴ラインを送ったとき、頭のなかで法螺貝が鳴った。ブオー!ブオオー!撤退ー!!総員撤退ー!!田吾作ー!はやく走れ!!死ぬぞ!!もうだめだオラ眠い。田吾作ゥーッ!!
田吾作は死んだが、撤退戦はなんとかうまくいった。

最後までしんがりを勤めたのはきっと「意地」と「根性」だ。娘可愛さに、私はなんとか最終夜の頭突きを受け止めた。
頭突きをされようが耳元でシャウトされようが、嘘泣きされようがこそこそ悪戯されようが、可愛いのである。だから投げ出すことはなかったが、それでもしんどさはあった。だがそれは絶対に、誰かが悪いとかそんな話ではない。
ただ私の睡眠不足、体力不足が、1歳児の元気に追い付かなかった。それだけだ。

こういう戦があるたびに、世のお母さんはすごいと思う。
私など、一人娘にここまでひいひい言うのだから、2人3人とかもう神の領域なのでは?と半分本気で思っている。歴戦の戦神である。見ろ、やはり面構えが違う……。

きっとこれからも、「よっしゃー!終戦だ!!」と思った途端、予想もできない方向から「戦だーッ!(太鼓ドコドコ」みたいな状況になるんだろう。新生児のしんどさと、今のしんどさはそれぞれ違う。それぞれがやばい感じだった(溶けた語彙力)。やばいとしか言いようがない。
その度に、私はひいこら戦を繰り返し、小さな太陽と法螺貝を鳴らしあうのだろう。ブオー!ブオー!
それはそれで楽しみ………いや、うそ。ちょっとこわい。なぜひとはあらそうのですか?かってにあらそわないで。へいわにくらして。


余談だが、溶けた思考力で支離滅裂のラインを送った最終日の私に「流石にやべえ」と感じた旦那はマッハで帰宅してくれた。翌日、丸一日ひとりで出掛けてこいと言ってくれたので、私はファミレスでケーキを貪り食った。
グッバイ低カロリーご飯。ハロー体脂肪。また会ったわね。
ダイエットは終わった。