好きな本を読んで考えたこと

京極夏彦の作品が好きだ。
子供を産んで文字を読めないのがしんどかったけれど、最近ちょっとずつ読めるようになってきた。で、嬉しくて立て続けに「今昔百鬼拾遺」シリーズ3冊と、「文庫版 書楼弔堂」シリーズの「破暁」「炎昼」を読んだ。
寝不足になった。
京極夏彦にしては量が少ない(京極堂シリーズは本当に鈍器)とはいえ、薄くても250ページは越えているので、子供が寝ている隙に読んでるとなかなか進まない。結局子供がご飯を食べてる横で読んだりして、怒った1歳児に取り上げられて表紙を折られた。うわー!ごめんなさい。

本を読むと、色々なことを考える。
私なんかは大したことも学んでいないので、考えを巡らしても空想みたいなものだし、読んでいるものもファンタジーが多いので偉そうなことはなんにも言えないけれど、それでも色々考える。
京極夏彦作品では男尊女卑とか、同性カップルについての世間の捉え方とか、マイノリティへの偏見とか、その辺をテーマにした話がちゃんと書かれている。時代が明治だったり昭和だったり、人々の意識が改革したり改革を強いられたり古い意識に揺り戻されたりする背景だからかもしれない。令和になったばかりの今の状況とあえて重ねて読みやすいように書かれているんだろうなあ。

ちゃんと書かれている、というのは私の感想だ。なんだか勝手にそう汲み取った。
たとえば女性の同性カップルがテーマの話。
知識が古いのでレズビアンと呼ぶのかゲイカップルと呼ぶのか他の呼び方があるのかわからないが、まあ同性のカップルが出てくる。そしてそれを嫌う人が出てくる。同性カップルがおかしいことではない!って人も出てくる。
ここまでは、そうだね、と思う。
そのあと、同性カップルとかいわれたってわからん、という人。別に偏見ないし今は同性愛じゃなくて殺人事件解決が急務でしょ?と話の本筋を追う人。同性愛を排除する人について考察する人。同性愛を認めたいからなんとかしたいと空回る人。自分には偏見がないと思ってるけどきっと何かの偏見を持ってるだろうし、それをつきつめて考えるとなんだか怖い、という人。
短編ひとつにこんなに出てくる色んな「人」に、私は「おお、ちゃんと書こうとしているんだ」と思った。

男尊女卑についてもそう。
幕末~明治を生きた元武士のおじいちゃんには女子供が学ぶ必要性がわからない。自由だ権利だそんなものは無用。明治初期生まれの父親は女に教養は大事だと思うが結婚して子供を生むべきだし教養はその過程と思っている。明治中頃の娘さんは、女だから蔑まれるというのは厭だし、女だから結婚するべきという押し付けは勘弁だが、じゃあ親の言う古臭いこと全てに反抗すべきかと聞かれると、そういうんじゃないなあと思っている。
母親は男は外、女は内を守る役割を其々行っているのだ、男だって好きで女子供を叱るわけではない、そういう役割を頑張っているだけ。現に理不尽なことは言ってない。という。
女友達は男だから偉いとか女は結婚すべきというのは古臭く間違っている!押し付けるな!という。
まあ色んな人が色んな立場の意見を言うのだ。

ちゃんと書こうとしているんだなあ、と思った。

現実に、同性愛は「悪いもの」ではない。同性愛だろうがなんだろうが排除されたり蔑視される謂れはないし、そんなことはされるべきではない。
が、必要以上に踏み込んだりするものでもないんじゃない?と私なんかは思ってしまう。
だって個人の性的対象のことだし。
同性が好きなんです!と言われて、「ふうん、そうなんだ」で終わりでなにか悪いんだろうか。もっというと、そんな恋愛対象を友達でもなんでもない人に、恋愛相談でもないのに言う必要あるのだろうか?

男尊女卑についてもそうで、最近はタイムラインにフェミニズム?だかフェミニスト?だかの話題が毎日流れてくる。毎日だ。私がフォローしてる方々がそういうのに敏感だからかわからんが、とにかく毎日何かしらのツイートが回ってくる。
それは良い。男に酷いことされたから男を許せない。そういうこともあるだろう。私だって学生時代の痴漢を今思えば全裸で引き回しにしてやりたいと考えることもある。もしも娘が泣くような、心が抉れるようなことをしてくる輩が現れたら刺すまではいかなくとも、乗り込んで殴りたくなるかもしれない。
だからって男全部が女を支配したいと考えている、という結論は突飛すぎやしないか? とくにオタクがミソジニー(ミソジニーって調べると「女性嫌悪」と出てくるんだけど使い方あってる?)一択というのは過剰では?
全部の男がやばい思考な訳でもないし、エロや下心を持ってたって良いだろう。おっさんだって生きてる。おばさんだって生きてる。
大昔のオタクはエロや下心が現実の女性に向かないことを心配されてたと思うんだけど、今は現実の女性に向けることを心配されていてびっくりする。

さらに言えば、私だってオタク……というか腐女子だ。オタクというのは知識をちゃんと持ってる人や作品を深く知ってる人だと思うから、自分をオタクを呼称するのは凄く烏滸がましいと思うが、腐女子は自分を表す言葉として使える。
実際腐っている。
BLが好きでたまらないのだ。これはもう仕方がない。少女漫画も少年漫画も好きだけれど、同じようにBL作品が好きだ。エロいやつも嗜みます。いっちょまえに。
だって私も性欲あるからね。
オタクだし腐っているし、BLが好きだ。世間的には変態の部類にいる。性欲だってあるし自分の性癖が変かもという自覚だってある。つまりこういうのを「キモい」と評されるのだと自覚しているのだが、流れてくるツイートには度々「キモいおっさんは迷惑なので干渉しないでほしい」とあって、そういうのを見るたびに私は「キモいおばさんなので慎ましく生きよう……」と恐縮してしまう。

何故キモいのが男だけだと思えるのか。
キモいに男も女もないだろう。あるのか?あるのなら、それこそ差別ではないのか。
逆に、みんなそんな健全な人生歩んでるの?
私は実際に同性愛者の人に会ったことはない。いや、いるのかもしれないが、カミングアウトはされたこと無い。
それが信頼されていないからとかは思わない。単に機会がないだけだろうと思う。さらに言えば、別にカミングアウトされても「そうなんだ〜」で終わってしまうと思う。コミュ力が低いので会話が下手なのだ。
それが友達の恋愛相談だったら、もちろん親身に乗りたいと思うが、私の助言は8割漫画の知識なのでそこはご了承願いたい。2割は妄想である。

女を見下す男、というのは確かに腹が立つが、じゃあ男を見下す女がいないかといわれれば、いる。未婚男性をいじるお局様の「冗談」に、私は最後まで乗れず「いや余計なお世話じゃん?」と言ってしまい場が白けたこともある。もちろん、「いやあ!きもい!」という陰口を黙って聞いてたこともある。職場で生き残るために。
逆に、同僚へのハラスメントや自分の容姿を貶す言葉に、嫌だなあと思いながら黙っていたこともある。職場で生き残るために。

もちろん、これからの制度や社会にそんなハラスメントは男女ともになくなるよう努力していかなければならないだろうし、同性愛に対する制度や仕組みは変える必要が出てくるだろうと思う。
そう思えるのもきっと同性愛への偏見解消に動いた人や、人権意識を喧伝してくれた先人がいて作られた世界で平和に生きてきたからで、私が先進的な考えをもって生きてきたからではない。
だから、じゃあ実際にどう思う?と聞かれれば、私はキモいおばさんだが生きてますし、他人の恋愛対象をわざわざ聞く必要はないんじゃないかとおもいます、としか答えられない。

私がこうして女のあれそれとか同性愛に関して思うことなど、そんなものだ。生きてきた中で組み上げて「こう思うけどまあ正解はわかりませんね」という、ぼんやりとした感想しかない。
嫌なものは嫌だと言うが、言えるようになったのもここ最近だ。若いときは下を向いてたし、笑ってごまかしていた。でもこれって駄目なことなのかなあ。その時の、処世術としては、私はあれが精一杯だった。
傷つけてきた人もたくさんいるし、傷つけられてきた人もいる。今も許してない人もいるし、ということは、私を許してない人がどこかにいるだろうとも思う。私は子供を好きだけど、子供が私を好きなまま育つ保証はない。でもまあそれは、仕方ない。私は好きだからしょうがない。
そうやって生きていくのは駄目なのかなあ。
そんなぼんやりした感想や人生観しかもってない。

つまり、こういうキャラクターを排除してないというのが、ちゃんと書こうとしているんだなあと思ったところなのだ。
センシティブな問題への意見は対立するだけじゃなくて、不安に思ったり、揺れたり、極端な正論に寄ったり、夢見たり、現実みたり、他人事だったり、様々あるだろう。それこそ人の数だけ不安はあるのだし。
同性愛は正しいッ!男が上なのは許せないッ!ババーン!な小説なら誰でも「あ、うん…」ってな反応になるだろう。むしろ、揺れたり不安におもったりするキャラクターがちゃんと居てくれたから、私は没頭したのだろう。あれはどうだこれはどうだと書かれた人々の、他人を尊重しようと悩む姿勢は親近感が沸く。さらに言えば、そんな揺れ惑う意見のなかできちんと「人殺しはいけない」という一線だけは揺らがないのだから、こんなに優しい本は無い。
だから京極夏彦の作品は好きだな、と思った。

まだ読んでいない本がたくさんあるので、子供の目を盗みながらたくさん読みたい。
そしてちゃんと書こうとしてくださっている色んな作家さんの話を読みたいな。どれだけ汲めるかはわからないけど、私は私なりの汲み取り方で読んでいきたい。

と、本を読みながらぼやぼや考える。