天啓でキムチ

 

買い物をしていると、時々、天啓染みた閃きを得ることがある。


ゼッタイ買いだ!という確信に似ているけれどちょっと違う。
この商品ははずれそう…とか、ここで買っておかないと後悔するとか、あっ一期一会商品だと勝手に思うとか、そういう第六感である。もちろん外れることもあるので絶対ではないが、あながち馬鹿にできない。これは多分日々の生活の積み重ねで買い物経験値を積んできたから起きる閃きかもしれないし、日々の失敗で回避率が上がった故の危機感知なのかもしれない。


水曜日のことである。
近所のスーパーでは時折県外から美味しいお店が自慢の品を持って特設コーナーを設ける。催事出店と言うらしい。レジ前にある北海道の唐揚げとか、やたらとオシャレなスコーンとか、売ってる内容はさまざまだが、サッカー台で袋詰めしている家族へ匂いで宣伝するタイプのあれである。子連れには結構効く。土日はかき入れ時だから、お店の人の呼び込みの声も元気が良く、開店~昼過ぎくらいまでは人気のあれである。
普段、私はあまり足を止めない。
タコ焼き屋から香しいソースの匂いがしようと、めちゃくちゃ美味しそうなシフォンケーキが並んでいようと、基本的には速足で通り過ぎる。子供の目に触れたら大変危険な虹色の綿あめ屋さんがいたときはカバディみたいに子供の視界を遮って通り過ぎた。
しかし、その日の私には、天啓が降りた。
レジを通してもらっている間、ちらりと目にした赤い屋台。


キムチ屋さんである。


キムチ。
キムチ?
店舗にはずらりと並んだ赤い品々。キムチ一本でスーパーに来たのか。
それって…なんか、絶対美味しいんじゃない……?


天啓としか言いようがない。
袋詰めをしながら、私は店の奥で「いらっしゃーい」と愛想よく元気な呼びかけをするお姉さんを盗み見た。根拠は無いが私の頭の奥でぴりぴりと「あれは絶対美味しいものだ」という予感がする。もしかしたら食いしん坊の勘だったのかもしれない。いくら見ても店舗に並ぶのはキムチだけである。
キムチ売ってる。
キムチしか売ってない。
呼び声に誘われるようにふらふらと近寄った。
当然、商売上手なお姉さんがそんな脇の甘い客を逃がすはずがない。「美味しいですよ、うちのキムチ!」とにこにこ笑顔でターゲッティングされてしまう。見ると、やっぱりキムチが並んでいる。でもちょっとずつ、なんか、種類が違うようである。


天平キムチ

tenpeishop.com

 

店名である。滋賀県のキムチ屋さんらしい。ポップには「マツコの知らない世界に紹介されました!」と書かれていた。有名なキムチ屋さんらしい。マツコが気に入ったんなら、そりゃあ美味いだろうな。そりゃ美味いよ。
一口にキムチと言っても、漬けたものによって種類がある。白菜、キュウリ、ラッキョウ、海苔とか、まあ色々だ。海苔ってキムチにできるんだ。
新鮮な驚きにじっとキムチを眺める私にお姉さんがにこにこで聞く。


「奥さん、キムチ好きですか?」


特に大好きというわけではない。
だが、美味しいキムチは好きだ。私は白米が好きなので、白米に合うおかずはなんでも好きなのである。
「辛すぎると食べられないんです」
「うちのキムチは全然辛くないですよ!」
私の不安をお姉さんは即座に一蹴した。秒だった。
接客に慣れているのだろう。私のような「キムチは好きだが辛すぎるのはちょっと……」とかいう甘っちょろい客など絶対に逃がさないという商売上手を笑顔に見た。
さらに自信もあるのだろう。確かに、赤いキムチは辛そうなとげとげしい赤さではなかった。とっても、純粋に、美味しそうなのだ。
視線がうろうろと商品棚を見る。ぼんやりと立つ私へ商売上手なお姉さんは二番人気の白菜を進めてきた。美味しい、らしい。そうだろうな。なんかだってぜったい、美味しそうだもんな。王道の白菜。でも。白菜。しかし。だが。


左上に長芋のキムチがあるのだ。


食いしん坊は、いや、デブは芋類に目が無いのである。
しゃきしゃきの長いもに辛みと酸味と旨味が染みこんだキムチ。絶対美味い。
私の長年のデブ経験則、いや、食いしん坊経験則がガンガンにラッパを吹いていた。肩に乗ってる天使も悪魔も一斉に「絶対美味いやつだって!!!!!!」と叫んでいる。わかっている。落ち着け。がっつくんじゃねえ。欲望のはしたなさを𠮟りつけてじいっと立ち尽くす私の前で、お姉さんがにこっと笑った。


「ちなみに奥さん、長芋気になってるかんじですか?」


バレてる。
そりゃああれだけガン見していればバレるわと、今ならわかるのだが、言い当てられた水曜日の私は一気に汗が噴き出た。無言で頷くとお姉さんはさらに声を潜めて私の食欲を唆した。

「うちの一番人気なんですよ」

一番人気。

「一日2~4個ずつ食べてまあ1週間持つかな、って計算でパッケージされてるんですけど」

うん。

「私もこれ、好きで。美味しくて」

だろうなあ。

「2日で食べきっちゃいました」

 


ぜ っ た い お い し い じ ゃ ん !

 


美味しいに決まっとるがな。毎日キムチを見てキムチの匂い嗅いでおそらくキムチ買ってるであろう店員さんが2日で食べちゃうんだぞ、絶対美味い。
欲しい。
何が何でも炊き立てご飯に乗せて食べたい。
だが、うちでキムチを食べる大人は二人だけだ。旦那は特別キムチが好きというわけでもない。天使が必死に足に纏わりついてブレーキをかける。
「買い過ぎるなよ! 誰が食べるんだよ!」
わたしだ。
わたししかいないのだ。
家族の食べ残しの処理はすべて、まるっと、わたしなのだ。思い出すテーブルの上の残骸の数々。半端に残ったお惣菜。海苔の佃煮を最後まで食べきるのは私。梅干しを一生懸命おにぎりに入れるのは私。残ったカレーをごはんで掬い取って意地になって食べるのは私なのである。

見極めねばならない。美味しく食べれて、且つ多すぎない量を。


私は長芋キムチを指さし、本当は500g買いたいところをぐっとなけなしの理性で我慢して、200gを買った。
さらに白菜キムチの誘惑に負けて、1kgの白菜に手をかけて、天使が脛を思いっきり蹴って来たから、500g買った。泣く泣くの調整である。

2千円以上支払ったところで「キムチに2000円って」という理性が一瞬頭をよぎったが、ずっしりと重たくパンパンにキムチの詰まったビニール袋に、すぐに脳内は「早く炊飯器炊かなきゃ」になった。食欲の前に金の力は弱い。だって紙切れでお腹いっぱいにはならない。なるけど。なるけどね。手に持ってるだけじゃお腹は膨れないからね。


すかすかの財布とパンパンのキムチを持って家に帰った。
とりあえず他のおかずの準備をしながら米を炊いた。
夕飯に長芋キムチをそっと添えて出す。案の定、子供達には「なんだこれ辛い」と言われたが、旦那と二人でひとつずつつついた。


美味い。
めっちゃうまいじゃんこれ。


長芋は予想の2倍くらいしゃきしゃきしていた。芋の甘さがキムチの酸味にほどよく絡んで、ぴり辛な唐辛子がぎゅっと旨味を引き締めている。キムチの辛みがごはんに染みて、米の甘味がこれでもかと際立つ。気づいたら白米と一緒にむしゃむしゃ食べていた。旦那が途中で「美味しいねえ、これ」と言っていたがほとんど耳に入らなかった。私は本当に、旦那にも食べてもらいたかったのに。本当に、美味しいものは旦那と共有したかったのに。箸が止まらなかった。無言でひょいひょいキムチを取ってぱくぱく食べた。秒で無くなった。


一瞬。


一瞬じゃないか。
呆然とする私はそのまま旦那に言った。
「旦那、ビビンバ作るの上手かったよね」
「まあ、かかしよりはね」
どんぶり勘定で飯を作る私より、手順に忠実に沿う旦那のほうが名前がつく料理は当然上手い。
「白菜のキムチも買ってきたから今度作ってくれる?」
「キムチ買いすぎじゃない? どんだけ買ってきたの?」
呆れる旦那に小さく「長芋と白菜ダケダヨ」と返した。金額は言わなかった。このブログでバレるけど。


だが、2千円よりはるかに価値があるキムチだった。


別日に旦那が作ってくれたビビンバに乗った白菜キムチは本当に白飯が進んでしょうがなかった。
3杯。
私がご飯をお代わりした数である。ちなみにどんぶりだ。どんぶりで3杯て。運動部の高校生でもなかなかいない。最近の子はスマートである。白米キムチでどんぶり三杯なんて馬鹿みたいな食べ方はしないだろう。多分。
途中から他の具材とかそっちのけでキムチだけで食べていた。結局半分無くなった。ほぼほぼひとりで食べていた。美味すぎて、どうやっておかわりしたのか記憶にない。おそらくしゃもじを使ったと思う。人間だし。

 


その3日後、平日に休みを取った日、お昼ご飯に白米を炊いた。
炊飯器に1.5合。炊きあがりと同時にテーブルに長芋と白菜のキムチの入ったタッパーを並べて納豆を開けた。ネギを刻んでこれでもかとふりかけて、全部炊き立てのご飯に乗せた。
食べた。
噛んだ。
美味かった。
キムチがキムチであるだけで、こんなに美味いなんてことがあるかよ。
子供に急かされない休日の昼飯、それだけでも幸せなのに、ご飯がめちゃくちゃ進むキムチで腹がみちみちになって途方もなく陶然とした。
炊飯器は空になった。
キムチも全部なくなった。
長芋だけでなく、白菜キムチも2日で食べてしまった。


あれから、天平キムチのサイトを私はずっとうろうろしている。
スーパーで降りて来た天啓が、未だに私の中で暴れ回っているからだ。食べたい。もう一度あのキムチを食べたい。
お取り寄せの方法を調べ、しかし、でも、と品書きを見続けている。美味しい故にお値段は当然する。だが、私はもう知ってしまった。この世にはめちゃくちゃ美味しいキムチがある。
きっと、来月には買うだろう。
あの時、天啓に従って良かった。スーパーで降りて来た「絶対買うべき」は絶対買うべきなのだ。失敗してもそれは私の責任ではない。私の天啓が経験不足だったのだ。つまり、これからも私は己の閃きに従って、新商品を買って良い。次の催事出店で、またあの頭にビビビと来る瞬間が訪れることを楽しみにしている。

 

次はビールと食べたいな。

ゼッタイ絶対ぜったい美味い。