遊びの天才

あったかくなったり寒くなったり暖かくなったり、安定しない天気が続く。とはいえ、真冬よりは日差しが柔らかくなったので外で遊びやすくなった。子供の体力を削るには、まず日に当てて外に放し、お腹を一杯にさせてお湯に浸すこと、これに限る。限るんだけども、真冬はやっぱり辛いので、外より室内遊びになる。私は出不精だし、寒いときは外より家で遊びたかったし、そうなれば自然と子供の体力は削れないのだ。

けれども春。春だから!

最近は外に遊びに出かけたり、児童センターに連れ出すことも億劫ではない気温になってきた。それは私だけでもないようで、やっぱり暖かくなると遊び場には子供が増える。きゃーきゃー走り回って目新しいことに飛びついて遊ぶちいさき人々。元気の塊だなあ。遠くから見ていると、特に知り合いでもないのにその場で遊んでる子供の群れにはそれなりの流れができているのがわかる。走り回るグループ、ひたすら玩具を出すグループ、おままごとは二組くらいが互いを意識しあいながらやってるし、小さい子が交じると小さい子のよたよた歩きから大きい子が笑いながら逃げていく。

そんな中で、まあ、大体の確率で、いるのだ。遊びの天才が。

それは児童センターだったり公園だったり、場所に限らない。子供で賑わう遊び場に、大体一人か二人はいる。

 

例えば、大きい公園に行ったとき。

最近の大きくてキレイな公園には、土から生えるマシュマロみたいな、屋外トランポリンがあったりする。子どもたちがわらわら登って、飛んだりはねたりできる白いゴム製の小山である。特に大人が追い回して走ることもなく、子供が自発的に物凄い体力を消費してくれる優れた遊具だと思う。大体4〜5歳の子からしっかり遊べるので、小山の周囲には大人がそれなりの距離をとって眺めているのもよく見る光景。うちの長女もつくなりワーッと靴を脱ぎ散らかして登りに行って、私はポケットに手を突っ込んで遠巻きに見ていた。既に山には5〜6人ほどがぼよんぼよんと跳んでいる。元気だわ〜、と眺めていると、その中の一人が急に山の頂上で寝そべった。

『遊びの天才』である。

その子は手足を放り出し、なるべく背後のゴム製マシュマロに沿うように寝っ転がった。他の子が跳ぶ弾力が、寝転がった彼をボン、と弾ませる。あんだけ足が上下に跳ね回る中、寝転がる度胸。その子はにこにこしながら目を閉じてる………目を閉じてる?!心臓に毛でも生えてるのか、他の子のジャンプによる振動を目を閉じて楽しんでいる。

特に合わせて跳んでいるわけではないから、子供たちのジャンプはバラバラだ。だから寝転がる子も不規則に体全体が浮かぶ。ボンボボボッボンッボンッボボッボボボンッ。寝転がってうふうふ笑う子に、他の子達が気がついた。跳んでる子達はジャンプしながら場所を変え、寝転がってる子を中心に円を作った。ボボボッボボボッボンボボッボボン。強く翔べば寝てる子が大きく浮かぶ。円は不規則にびょんびょん跳んで、真ん中の子はそのたびにうふうふ笑いながら体を転がした。ボボボボボボっ。

 

儀式が完成した……。

 

小山の頂上でなんか変な儀式みたいな遊びが完成していた。感心して眺めていた私の前で、大きな子たちが一際高くボボンッと跳んで、寝転がってる子はゲラゲラ笑いながら小山を転がり滑り降りた。それをきっかけに跳んでた子たちもケラケラ跳びはねながら散っていく。すんげえものを見た。あの天才一人がやってみた遊びで、子供が無言で集結して遊んで自然に散っていった。すんげえ。

長女が手を振るのに振り返しながら、束の間の儀式にただただ感心していた。

 

例えば、児童センターに行ったとき。

子どもたちはおもちゃ置き場で思い思いに遊んでいる。次女が出しては投げる玩具を回収しながら、私は日向でボーッとしていた。

一人の子供が輪投げを床に投げた。輪っかがコロコロと転がって、壁に当たってくるくる回りながら落ちた。目をつけた遊びの天才がワッと寄っていく。

その子が輪投げをポーンと投げて、跳ね転がった輪っかを追いかける。ブロックで遊んでいた子がパッと顔を上げて合流する。落ちた輪っかがまた転がる。人形を放り投げた子が走り出す。

見ているうちに4〜5人の子どもたちが輪っかを追いかけて部屋を右に左に駆けはじめた。追いかけられない0歳児も、床に座って視線で輪っかを追いかける。ポーン、ワーッ、ポーン、ワーッ!

そのうち天才のテンションが上がりきり、輪っかがポーン!と高く飛び跳ねて、積み木の中に突っ込んだ。天才はケラケラ笑って、輪っかを無視して積み木へ向かう。他の子たちもワッと笑ったかとおもったら、満足したのか遊んでた玩具の元へ帰っていった。私は雄叫びをあげる次女に頷きながら、すげえもんを見たな。と思った。

ハーメルンの原型みたいな。

時間にしては5分もない、短いものだった。その間に子どもたちは特になんの打ち合わせもなくワーッと集まって、部屋中を駆け回り、ワーッと散っていった。笛吹き男はいなかったはずだが、なんか魚の群れが集まってまた散っていったみたいな、なんとなくすんげえもんを見た気がしたのだ。

 

コミュニケーションとかではないとおもう。見た感じ、共感とかでもなさそうだった。切っ掛けはちょっと違う遊び、だと思う。天才がいるのだ。みんなも遊んでいるけど、ちょっと角度が違う、でも絶妙に面白いことを見つける天才が。

子供たちは天才に引っ張られて「お!たのしー!」とばかりに参加する。参加に了承とか認証とか特にない。面白そうだからなんとなく集まってひとしきり遊ぶと散っていく。みんなが散っていくのを天才は止めず、また違う誰かが遊びの天才になる。

子供の群れおもしろい。

 

私が子供だったときも、遊びの天才はたしかに居た。あの子がなにか言うと遊びが盛り上がって、ゲラゲラ笑った後に解散した。ような気がする。よく覚えてないんだけど、でも多分居た。居たに決まっている。時々私も遊びの天才になってたかもしれない。記憶にはないけど、長女が家でキラメイジャーレッドに「じゃあ、あなたはワンちゃんよ」と言っているのを見ると、私も子供の時は変な遊び方見つけてたんだろうな、と思う。次女が玩具よりペットボトルをボンボコ叩くことに夢中なのも、遊びの天才を身のうちに秘めているからだろう。

 

春は子供がつくしの如くわらわら出てきてて面白い。もっとあったかくなってほしい。夏は暑すぎないで欲しい。付き添いの親は立っているだけなので、特に体力はつかないのだ。だからまあほどほどに頼む。子供たちだけで体力を削り合って、そして夜は寝てほしい。

頼むぜ天才。