シン・ウルトラマンが見てる

そろそろ周りの人がシン・ウルトラマンを見てくれたと思うので、私の感想をちょっとメモっておこうと思いました。

映画全体の感想でいうと、おもしろい!です。
私のなかで「映画館」で見て満足する邦画は結構少ないのですが、シン・ウルトラマンはバシバシ引き込まれる画角やアクションや音楽で映画!見てる!感がとっても良かった。
邦画界もあのテンポと画角を研究して活かしてほしい、と思うくらいにはたのしかったです!
しかしそれはそれとして内容だ!!私が衝撃をうけたのは!!ウルトラマンファンは私と同じ気持ちをずっと持っていきていたのか?わかんないけど結論からいうと映画後私はTシャツを捨てました!!!

私はウルトラマンを知りません。
テレビも見たこと無いし設定も知らないし怪獣も知りませんでした。今回シン・ウルトラマンを見に行ってはじめて「あ!ウルトラマンって宇宙人なの?!」って思ったくらい何も知りませんでした。
そんな私の映画後の率直な感想がこちら。


"ウルトラマンの愛と期待が重い…………!!!!"


そんなに人間が好きになったのかウルトラマン
ゾフィーさんがぽつりと呟くほど人が好ましいと思うウルトラマン
子供を助けて死んだ「人間」という個体と、諦めない心と絆を見せつけてくれた「人間」の群れに、これからの人間の可能性を期待するウルトラマン
米津玄師の歌を聞きながら劇場の私は呆然としました。

そんなどでかい愛には応えられないよウルトラマン

そんな……そんな良いモノじゃないよ人間って!!!
歴史を見てくれ!作中のネットの誹謗中傷をみてくれ!なにを見ていたんだウルトラマン!神永くんと浅見さんだけで人間に期待を懸けすぎるなウルトラマン!そのふたりは人間のなかでもめちゃめちゃ素晴らしい方の人間だウルトラマンSSR人間なんだよ!どうしてそこまで信じてくれるんだ!やめてくれ!私はあなたの期待に応えられるような人間じゃないんだウルトラマン!可能性なんてあやふやな未来を「人間である」ことで信じないでくれ!

大スクリーンに圧倒されながら、私は私の人生を思い返した。嘘もついてるし見栄もはってるし面倒くさがりだしサボったり手を抜いたりしてるし他人に嫌なことをしたりされたりしてる私の人生。高潔とは言い難い私の平々凡々な人生。誰かの役に立ってるとは言えない小さな人生。

そんなのが地球ごと命救われた上で「これからの未来を期待している、なぜなら人間がすきだからだ」とか言われて全うに生きていけると思ってんのか!!???!!?!?
小市民を知らなすぎるぞウルトラマン!!!!
プレッシャーで押し潰されそう!!!
私は人類に貢献なんてできやしないのに、人類まるごと救って人類に期待されて去っていかれたらなんか……なんかしなきゃって焦るじゃん!!重い!!愛が!!受け止めきれない!!

これが愛玩対象としてならまだ受け止められるんですよ。
なんかこう、猫ちゃんみたいな。失敗しても、かわいいわね〜的な……人間かわいいな〜みたいな愛だったらまだ愛でられても「そんなに人間がかわいいかウルトラマン……てれちゃうな…へへっ…」で済んでた。
違うじゃん。
ウルトラマンの愛は「人間」をまるごと「きっと色んな可能性を秘めているおもしろいイキモノ」として愛してくれてるじゃん。
そんなん可能性を示さなきゃ………この愛に応えるには可能性を示さなきゃだめじゃん!?!命救われてさあ?!?期待されてんのにだるっと生活するのはよくないんじゃない?!?ねえ!?!

私は映画を見終わって家に帰り、しばらく考えてからとりあえず襟の伸びきったTシャツを捨てた。
ウルトラマンが期待してるから。
「人間」を見てるから…!!!
なんかとりあえずちゃんとしないと、という意識のもと、手始めにTシャツを捨てた。しかしそれ以上は思い付かなくてウルトラマンからの愛に震えた。

重すぎる。
Tシャツ捨てたくらいでこの期待には応えられないだろう。
というかTシャツを捨てるのは何か方向性が違う気がする。

メフィラスの言うことのほうがまだわかる。
要は家畜の管理ということだろうから、人間のできることできないことを容赦なく判断していくんでしょう。建前はビジネスなので、敬意も払ってくれるし、おそらく有益だと感じた個人に対しては何らかの交渉をしてくるのが予想できる。
視線がフラットなんだよな。
ウルトラマンはもう、なんていうか顕微鏡越しに見られて「このイキモノ面白い。すき。」っていわれてる感じある。重い重い重い。多分気分はさかなクンさんに愛でられてる魚に近いんじゃないか。魚の言語はしらんけど、さかなクンさんの愛が凄いのはあの鱗肌越しでもびんびん感じられるに違いない。

テレビをつけたらNetflixではシン・ゴジラがおすすめされていました。
ゴジラのほうが私的には気が楽だと思った。
人の上も下もなく、善も悪もなくただ通るだけで破壊していく存在。これは諦めがつく。
死ぬのは嫌だが諦めがつく。
いやもうゴジラだからな……災害だから……みたいな気持ちで見上げるかもしれない。怖い、死にたくないと思いながらも、破壊に巻き込まれたら「こんなものか、私の人生は」という気持ちが混じるのではないかとも思う。

でもウルトラマンは違う。
全然よくわからん宇宙人が人間のために汗かいて戦ってくれてる。
理由は「人間が好きだから」だ。
そんな存在に「私の人生こんなもの」という気持ちでいるのは失礼すぎるのでは?というプレッシャーが私を襲う。
好きだから、というただそれだけの理由で命懸けてくれる相手に、自分を蔑ろにするのは物凄く無礼なのでは?


多分、ゴジラのほうが私の中の「神様」に近いんだろうな、と思う。
自然というか、自分にはどうにもできない大きな存在。敬意を払い、畏れ敬い、私の意思とは無関係にそこに在る存在。
だとしたらウルトラマンはいわば「お天道様」というものなんだろう。お天道様が見てる。恥ずかしいことをするんじゃない、という意識。神様ではない。ただその存在から失望されたり軽蔑されたりすることは恥である、という意識。サボったり卑怯なことをするときの後ろめたさを、見てみぬふりをしようとすると袖を引いてくるあれ。私は大体その袖を振り払えるようになっていたのにさ。
最近は私のなかで軽視されてた「お天道様」が、シン・ウルトラマン観に行ったらスクリーンに強烈に存在していてびびった、というわけだ。

ウルトラマンに救われた命はしんどい。
ウルトラマンの愛に応えるために、人間であることを考え続けなければならないから。
より善い姿を見せなければ、彼の期待を踏みにじることになるから。
ウルトラマンに嫌われたり、失望されたくないから。
あんなストレートに「好きだ」って言われたら、恥ずかしい姿は見せられない。重たい。愛も期待も重たいが、この、こそばゆいような嬉しさが染みていくかんじはなんだろうなあ。

そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン
あなたが好きでいてくれる間、あなたに恥じない人間でいよう。

ウルトラマン初体験の女は映画館から出て、だるだるのTシャツを捨てたのだった。
そして明日はサボっていた家計簿をつけます。
ウルトラマンが見ているからな。