しにたい君と私

ここ数ヵ月のことだけども、生理前になると物凄く情緒不安になることが増えた。
なんというか、頭ではわかっているのにしにたくなる。
天気が良ければ良いほどしにたくなる。
車で走っているとこのままガードレールに突っ込んで橋から落ちたらしねちゃうなあとか考える。しぬことは絶対痛いし怖いしやりたいことたくさんあるし友達との約束も全部覚えてるのにしにたくなる。自分の葬式の想像をして、参列者の少なさに納得したり、もうとことん絶望的な気分が襲っているので、葬式中の娘が泣かないことも納得してしまう。

ある時、車を運転中にふっとまたしにたくなった。
このままスピード出してあのガードレールを乗り越えようか。そんな勇気はないわけだが、襲いくるしにたさが勝手に脳内でシミュレーションを開始する。
やだなあ。私はしにたくないはずなんだよ。
どうしてしにたいなんて思うんだろう?
もしかして私のなかには「しにたいしにたい」気分にさせる「しにたい君」がいるんじゃないか。

そう思ったら、ダッシュボードの上に卵みたいにつるんとした、黒くてまるっこい生き物が座った。にゅっと粘土を伸ばしたみたいな適当な足をぷらぷらさせて、顔の部分は白くてふにゃふにゃして、辛うじて目と口が適当にサインペンで描いたみたいにのっかっている。

うわ、しにたい君だ。

いるかもしれんと思ったから出てきちゃったんだ。ぼーっと運転しながら、私は恐る恐る声に出して聞いた。「なんでしにたい君はしにたいの?」
しにたい君は足をぷらぷらさせながらふにゃふにゃした声で言った。

「自分がいない世界のほうが、娘は幸せなんじゃないかと思うから」

涙腺は破壊された。涙をぼだぼだに落としながら仕事にいって、トイレで顔を整えて、その日はしにたい君と一緒に仕事をした。
しにたい君はなんにも言わないでパソコンの後ろとか、引き出しの中とか、デスクの上とかに座ったり佇んだりしてた。
私は心のなかでいっぱいしにたい君を説得した。「人間ってしにたいと思ってしねる生き物じゃないんだよ」とか「しにたいしにたい言ってるひとは結局長生きしちゃうんだよ」とか「人に迷惑がかからないしにかたはないんだよ」とか「生きててもしんでも迷惑はかけていくんだよ、それはしかたないことなんだよ」とか。

でもどうしてもどうしてもしにたい君のしにたい理由を否定することはできなかった。
私がずっとずっとずーっとうっすら考えていたことだからだと思う。

娘は甘えからか、年齢からか、まだまだ夜寝るとかご飯を座って食べるとかお菓子を我慢するということを嫌がる。
私はなんか毎日言い聞かせてお願いして結局無理なので怒ってる。「もう寝る時間だよ」「起きる時間だよ」「保育園いくよ、着替えてね」「ごはん食べて」「お野菜のこってるよ」「おかしはごはんのあとだよ」「お風呂はいって」「チャイルドシート座って」「いまごはん作ってるから遊べない、あとにして」。一回で言うことを聞いてくれることは絶対になくて、いっぱい言い聞かせてお願いして、もので釣ったりしてもだめで、結局怒ってる。
テレビで怒るバイキンマンを見て、娘が「ママみたいだねえ」とかいう。怒られた娘が「ママ、おこんないで!やさしくして!💢」って泣きながらいう。
ごめんね、って言いながら、でも夜は寝ないとだめだよ、っていうと、その時はうんっていっても結局なんやかんや寝ない。

旦那は子供の扱いがうまいのか、娘は旦那といるとイヤといったりわがままいったりしないみたいだ。今日もずっといいこだったよ、という。
娘もにこにこで楽しそうで、そのたびに小さなしんどさが私のお腹の辺りで増える。

怒ってばっかりだね。ごめんね。

保育園だって、私が仕事してなければ家出見れる。もっと時間に余裕をもって動ける。はやくして、なんていわなくていい。チャイルドシートに座るのも、靴を履くのもずっと待つことができるのに。夜寝る時間も朝起きる時間もうるさくいわなくていいのに。
私は私のわがままで仕事をして、結果娘に我慢を強いてる。のではないか? 怒っている母親に、娘は怖がっているのではないか。朝無理矢理体温を測るのは、娘の気持ちを無視してるんじゃないのか。

虐待のニュースが流れる。
私が娘に怒るのは虐待なんじゃないだろうか。自分の感情で怒ってるとき、あるよ。寝てほしくて、娘が寝てる間になにかしたくて、だからはやく寝てほしくて、朝は遅刻したくないからはやく起こしてる。
もっと寝てたいんじゃないのかな。やいやいいわれるの嫌だよね、私も嫌だからわかるよ。
ご飯ももっと、食べやすいなにか別のものがいいのかな。食べろたべろといわれるの嫌だよね。

私がいないほうが娘はのびのび過ごせるのかな。

考えないことはむずかしい。
お話しして遊んで人形で布団に誘ってそれでも一時間寝なくて怒って「ママさきにねちゃうよ。おやすみ」って寝たふりして、泣いてる娘が寝落ちるのを無反応で待ってるときとかは特に。
私がいないほうが娘の世界は明るいかもしれない。


仕事帰り、私はダッシュボードの上でぷらぷら座るしにたい君と泣きながら話した。
「私もそうおもう。娘の世界に私がいないほうが良い世界なんじゃないかって」
「だけど生きてかなきゃいけなんだよ。しんどくても迷惑でも嫌われてもさ」
「娘だっていつかしにたいって思うかもしれないよ。そういうときにさ、私がふつーにしんでたら、娘もしんじゃうかもしれないよ」
「娘がしんじゃうのは私は絶対いやだよ」
「だから娘がもういいよっていうまでは、生きてようよ、とりあえずさあ」
「しかたないんだよ、命がもうある人間だから。生きてるんだから生きなくちゃしかたないんだよ、ねえ。わたしに価値があるとかないとかは関係ないんだよ。生きてるんだから生きなくちゃ、しかたないんだよ」
しにたい君は足をぷらぷらさせて黙って聞いてた。そうだね、ともそれは違うともいわなくて、黙ってしにたい気持ちを受けもってぷらぷらしていた。

泣きながら車で延々独り言を言ってた私は保育園の駐車場で顔を整えて娘を迎えにいった。
娘は笑顔で飛び出してきて、相変わらず素直に車にのらないし、チャイルドシートにも座るまでに15分以上かかった。それでもいつも通りの可愛い可愛い娘だった。
しにたい君は黙ったまま、生理のはじまりといっしょに薄れていった。

私は天気の良い日にしにたい君とたまに話す。
しにたい君は喋らないから、わたしが一方的に話すだけだけど。私のしにたい気持ちを受け持つだけのしにたい君。しにたい君はしんどい気持ちもめんどくさい気持ちも否定しない。私はしにたい君のしにたい気持ちを否定しない。

やりたいことがたくさんある、みたい映画がいっぱいある。友達との約束も覚えている。
私は本当にしにたいわけじゃない。ただしにたい気持ちになっているだけだよ。
ただの気分だよ。
ただの気分でしんじゃわないように、しにたい君はぷらぷらと私の話を聞く。聞きっぱなしにしてくれる。
私はそれに随分たすかっている。
もう少し、自分のことがなんとかなれば、しにたい君がばいばいする日がくるかも。こないかも。
一生のつきあいかも。
でもそれまでは、ぷらぷら気長につきあっていこう。と、思っている。