娘の要望を聞けた日

私には1歳半を少し過ぎためちゃめちゃ可愛い娘がいる。
大事なことなので2回言うがめちゃめちゃ可愛い。
おまけに賢い。嫌いな食べ物をコップへ証拠隠滅し「ナイナイ♥️」と微笑んだり、夜寝てるふりした私が目を閉じて動かないことを念入りに(顔を至近距離でじっと見つめて)確認して寝室からの脱走を図ったりする。音や気配でわかるしドアは空かないようにしているので脱走は未だ成功はしていないが。
ドラマ相棒に犯人役で出れるのでは?と思ったりする。右京さんに「ひとつよろしいですか?」と聞かれても「ナイナイ♥️」の笑顔でかわせる気がする。

親バカの自覚はあります。


そんな娘の機嫌が今日は朝からよろしくなかった。昼食時には、座るのがイヤ、エプロンがイヤ、ごはんは食べない、テレビも消したくない、ごはんは食べないが皿を下げることも許さない、まさにハリネズミのごとく不機嫌の針がバリバリ立っていた。
私は諦めてご飯の隣に焼いた食パンを追加し、30センチほど離れたところで流れるアンパンマンと椅子の上で踊る娘を見ていた。体育座りで。
かばおくんが叫ぶ。「たすけてあんぱんまーん!」
たすけてー!

そんなこんなで1時間ほど様子を見て、食パンをスープにつけて完食したところで切り上げることにした。放っとかれたことで落ち着いた娘の周りを手早く片付けて、さっさと皿を洗う。
途中後ろで「ママー!オイデー!」と呼ばれた。手が泡だらけなので後ろを見ずに「まってー」と応えて皿洗いを続行した。

途端、娘の不機嫌が再噴火した。

「うああああ!!!!!ヤダー!ヤダー!ヤダヨーォ!!ええええん!!」


ええー?!
ここで?!
だが1年半以上も娘と付き合っていれば緊急の泣き声か怒りの泣き声かくらいは判別がつくのだ。ぺろっ!これは怒りの泣き声!あらあらと思いながらも片付けを終えて、私は特に慌てず娘のいる寝室へ向かった。
娘はぬいぐるみをばら蒔いた中でおいおい泣いていた。どうしたの〜とそばに寄って娘の顔を見て私はちょっとのけぞった。鼻水がはんぱない。
もうでろっでろである。鼻水なのかよだれなのかわからないもので顎の回りがでろでろ。泣いて鼻息が勢いよく出るたびに鼻ちょうちんが小さく膨らんだ。漫画か?ちょっと面白いぞ。


そういえばここ最近の私の風邪が移ったのか、娘は昨日から青っ鼻なのであった。
「ありゃー。鼻ちーんしようね」
私はティッシュを取り出した。賢い娘はすぐに「イヤダッ!!!」と顔を背けた。鼻をいじられるのは嫌いなのだ。まあ好きな人はあんまりいないとおもう。しかし仕方ないのだ、これも自分で鼻をかめない幼児の通過儀礼
おまけに私はいちいち嫌だと言われて怯むほど繊細な母親ではないのであった。ごめんな、お母さんどっちかといえば雑な部類なの。
必死に抵抗する娘をがっしり捕まえて鼻を拭う。娘の悲鳴が寝室に響いた。「イヤダァー!!!」「あらまだついてる。はいチーンして」「イヤアアー!!!」容赦のないティッシュが娘を襲う!
全ては鼻をかめないばかりに……。
あらかた鼻水を拭い取り(ふ……他愛ない)と達成感を覚えながら娘を解放した。布団に解放された1歳半は四つん這いで叫んだ。「ヴぐrrrrrバルンブrrrrrアッガィンrrrr!!!!!!!!!」

なんて?

ぽかんとしてる間に娘は泣き叫びながら「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」寝室から駆け出しテーブルの下へ飛び込んだ。「ヴングrrrrr%$#@%!!!!!!!」
四つん這いで涙がぼとぼと、口はへのじにまがりきって、怒りと涙でぎらぎらした目がテーブルの下から私を睨み付けていた。

威嚇する猫か?

とにかく怒っている。それだけはわかった。毛を逆立てて全身で怒って私をにらんでいる。いや猫じゃない、娘です。人間です。
とりあえず鼻をかんだティッシュを捨てて、私はテーブルの前にしゃがみこんだ。今もなお威嚇し続ける娘へ離れたところから声をかける。こういうときに無遠慮に触れればさらに怒りをかう。気持ちはちょっとわかる。怒ってるときはさわってほしくないときあるよね。

「娘さん、怒ってるの?」
「グルァックrrrrrrrヴンヌrrrッタ¥%$゛@」
「そっかー。ぎゅーもいや?お母さんは娘とぎゅーしたいんですけど」
「ヴヴヴヴヴう゛……」

両手を広げる私をしばらく見てから、娘がのそのそと机から出てきた。じっとしている私の膝に、私に背を向けて不機嫌そうにどすンと座る。お?とちょっと思った。
話が通じてるぞ?

「……嫌だった?」
「…………ン」

ゆっくりぎゅーっと背中を抱き締めながらためしに聞くと、しゃくりあげながら娘がうなずいた。謎のそわそわが私を襲う。

「そっかー。嫌だったか。何がいやだった?お母さんが呼んでも来なかったから?」
「……ウン」
「さみしかった?」
「ウン……シャーシタッタ」

えっうそ、うそうそ、会話してる!
私、娘と会話してる!

娘の呼吸も落ち着いてきた。抱き締めてる体をぽんぽんしながらそっかーとなるべくゆっくり話してみる。

「どうしたいかな?」
「……アッチ」
「寝室?ねんねしたいの?」
「……ウン」
「そっかあ、じゃあ一緒に寝ようか」
「ン。……サトシはぁ?」

サトシは娘のお気に入りのハリネズミのぬいぐるみだ。従兄弟のサトシ(仮名)がくれたのが、なんでかぬいぐるみの名前に定着した。

「サトシも一緒に寝よっか〜」
「ダット」
「はい抱っこ〜」

娘を抱き上げてサトシを連れて布団に入れる。添い寝をすれば10分で、つまった鼻からぴーぴー寝息が聞こえた。寝顔の涙のあとをごしごし拭いながら、私はなぞの感動にちょっとぼんやりしていた。


いま、私は娘の要望を聞き取りすることができたな。


娘は私と一緒にねたかったのだ。だから呼んだのに来ないから寂しくて嫌だった。
そういうはっきりした理由をいま、わたしは娘から、娘の言葉で聞き取ることができたな。
すごいな。


新生児期はほにゃほにゃ泣くだけだった。
他の赤ちゃんと同様に、お喋りを初めても片言だし、単語だし、その単語も大部分ちょっと違うしなので、泣くのと指さしで要求を訴えることが殆どだ。
いつも「これ?」「これかなあ」「それともあれ?」「どれ?」と色々試して娘の要求を探ってきた。
なのに今、娘との会話で要求をすんなり知ることができたのだ。

この感動は大袈裟かもしれない。
でもじんじんじわじわどんどん興奮してきた。ぴーぴー寝ている娘がすごく、なんだか凄く、なんていうか、なんだろう。すごいなぁって思ったのだ。
凄い!
凄いんだよ!
1年半と数ヶ月、泣くだけでしか教えてくれなかった。言いたいことがたくさんあるだろうに、汲み取ってあげられないときがいっぱいあった。色々試して泣かせ続けてしまったときの申し訳なさ。お母さんならわかんなくちゃだめかなあとか、あれこれ探ったり本読んだりして、根っから不真面目な私が少し落ち込んだりしながら、笑ってくれたときのほっとした感じ。娘は結構分かりやすい子だったから助かってる、そう思いながらやっぱり泣いてる理由がわかんないときも時々あってへこんだりしていたんだ。

あーー、教えてくれるんだあ。って。

今まで私が汲み取れなかったこととか、いっぱいがんばって、通じる方法で、教えてくれるんだ。それって凄い。すごい幸せだし、すごい嬉しい。
すごい嬉しかったんだよー。

言葉が通じるからって全てが伝わるとは思わないし、今日会話が成立したのも、たまたまだとおもう。明日からはまたなんで泣いてるんだろう…と思うときがまたいっぱいあるのかも。
でも今日は、娘とはじめて会話をした革新的な日だ。
伝わっているし伝えてくれたと知れた大事な日だ。
とってもとっても嬉しい日だ。


昼寝から起きた娘とサトシを使っておしゃべりをする。やっぱりわからない単語も多いけど、「ウン!ウン!……ソーシャノー!?ウン!!」って相槌を打ってくれる。
いっぱいおしゃべりしてほしい。口喧嘩で負ける日々が来ても、伝えてくれることが嬉しいこの日を忘れないようにしたい。
うれしかったよー。